再生可能エネルギーの実態

2年間太陽光発電の開発会社で働いてみました

 外資系の会社でした。これからの社会に再生可能エネルギーは欠かせないと、それなりに希望を持って入社しました。でも、今春私は転職しました。理由はいろいろとありますが、現在の再生可能エネルギーのあり方に限界を感じたということもあります。太陽光発電の現場で感じたことを書いてみたいと思います。

 私は再生可能エネルギーに希望を失ってはいません。でも、その道のりは思ったよりも遠いと感じてしまいました。その道のりがより良いものとなるように願っています。

太陽光発電外資資本のカモ

 一般消費者向けに初めて太陽光パネルを発売したのは日本のメーカーだった。日本は太陽光先進国だった。それを壊したのは固定買い取り制度(FIT)だと個人的には思う。

 当時はまだ高価だった太陽光パネルだったが、生産量が増えれば価格が下がることは誰が考えても明白だった。なぜなら、原料はありふれたシリコンだから。だから、一定期間買取価格を保証してビジネスチャンスを創出し、生産量を増やしていこうとした。その考え方は正しいと思う。これで日本のメーカーが力をつけ、世界で競争力をつければ、これからの世界で主導権を握れると思った。海外の制度を参考にした。高額買取の原資は消費者の電気料金に上乗せすることになった。

 しかし、あまりにも稚拙な制度設計だった。現在、日本のメーカーはほとんどこの分野から撤退し、ほとんどの製品は中国製になった。また、大規模な開発にかかる費用には外国の(特に中国の)資本が大量に入ってきている。つまり、開発のための製品市場は海外(特に中国)に奪われ、固定買い取りのために消費者が余分に支払った費用は海外(特に中国)に流れて行ってしまっている。確かに中国製太陽光パネルの価格は安く、性能もいい。しかし、中国製太陽光パネルの生産には新疆ウイグル自治区などの強制労働の影響も噂されており、それが低価格な製品を作れる理由ではないかとも言われている。人権を蹂躙し、それによって日本国内のメーカーに打撃を与え、利益を吸い上げてしまう、巨大な仕組みとなっている(のかもしれない)。

 一体誰がこのような制度設計をしてしまったのだろうか?FIT導入前夜、最も熱心に動き回っていたのがソフトバンクグループであることはよく知られているとおりだ。孫正義氏と中国の関係を見れば、嫌な想像をしてしまう。

電力生産はオンデマンド

 環境団体は原発に反対し、火力発電に反対し、ダムの建設に反対し、山林を切り開いての太陽光発電に反対している。一体何がしたいのだろう?

 電力の発電はその瞬間の消費量と等しくなくてはならない。だから、人為的にコントロールできなければならない。再生可能エネルギーはまさに自然任せ。私達が天気をコントロールすることはできない。太陽光発電に至っては夜間は発電量はゼロである。だから、一日の最低消費電力を生産する、最も安い発電設備が必要だ。また、時々刻々と変化する電力をコントロールする発電設備も必要だ。前者には原子力発電が、後者には主に火力発電が使用されてきた。原子力発電は出力を短時間に変動できないから、火力発電を組み合わせる必要があった。

 その一部を太陽光を始めとした、再生可能エネルギーで置き換えようとしている。しかし、気まぐれな電源であるから、結局同量の従来型発電設備も備えて置かなければならない。太陽光発電は近年ワット単価が他の発電方法よりも安くなってきたという記事を見るが、これらのバックアップ設備が必要であることを考えれば、その費用を上乗せした上で果たして本当に安いと言えるのだろうか?

 これらを無視して従来型発電を無理に排除してしまうと、下手をすればブラックアウトということもありうる。数年前北海道で広域の停電があった。オンデマンドの発電がうまく行かなくなればブラックアウトを引き起こしてしまう。原発を再稼働しておけば防げたとも言われている。確かに原発は危険な部分もある。しかし、東北大震災で亡くなった方々はほとんど地震津波でなくなったのであって、原発が原因でなくなったわけではない。確かに間一髪だった。リスクはある。しかし、ブラックアウトが真冬の夜中に起きていたら、一体どれだけの方が命を落としただろうか?どちらにもリスクはあるのだ。

再生可能エネルギーがCO2を増やす?

 再生可能エネルギーで火力発電を置き換えた分はCO2が減るかもしれない。でも、原子力発電を置き換えたらどうなるだろう?再生可能エネルギーの出力が低下したときには火力発電で補わなければならない。そうするとCO2が増えることになる。原子力発電は発電量を短時間で増減できないからだ。だから夜間の電力の分の原発は必要だし、原発は昼間も動くので、再生可能エネルギーに置き換えられる電力は限られてくる。

 火力発電も大変だ。以前は電力需要だけを見て発電量をコントロールすればよかったが、今は日射量や風速など、様々な要因を考慮してこまめなコントロールをしなければならなくなった。そこで活躍するのは比較的小型の発電機だ。火力発電所も当然大型のもののほうが効率が良く、ワットあたりのCO2排出量は少なくなるだろう。しかし、大型の火力発電所はこまめな出力変動には対応できない。ここでもCO2の排出が増えてしまう原因になる。

蓄電池?水素社会?

 再生可能エネルギーの出力変動を吸収する方法として、蓄電池がある。何らかの技術革新があれば将来有望かもしれない。しかし、今を見ればまだ高価だ。主流のリチウムイオン電池は火災の心配もあるし、寿命もある。大量廃棄時の環境破壊はまだ未知数だ。何よりも数十メガワット級の発電量を数時間分蓄積するなんて、現実的ではない。

 余剰電力で水素を生成して、水素社会を実現という話もある。現実問題として、電力を水素に変換するのは非常に効率が悪い。それでも現在、より効率的に水素を発生させる研究が進んでいる。でも、そのための水素生成プラントが完成したとして、あなたがそこの経営者だとしたらどう思うだろうか?一日のうちほんの2〜3時間しか工場を稼働できないとしたら?下手をすれば数日工場は稼働せず、しかもいつ稼働できるかわからないから従業員を待機させなければならないとしたら?余剰電力で水素を作るというのはこういうことなのだ。私が経営者なら、24時間稼働させたい。結局、夜間も含めて原子力発電に頼って水素を作り続けるだろう。そうしないとコスト割れになるだろう。

電力を捨てる社会

 結局、再生可能エネルギーの割合を増やすには、捨てるほどの電力を再生可能エネルギーで生産しても惜しくはないと思えるほど、そのコストが下がらなければならないだろう。通常必要な電力の2倍、3倍の電力を生み出していれば(そして余った電力は捨てるのだ)、火力発電の出番は少なくなっていく。実際、多くの太陽光発電所では過積載によって発電効率を上げている。過積載はインバーターの容量よりも多くの太陽光パネルを設置することだ。太陽光パネルは常に100%の発電を行っているわけではない。夏よりも冬は少ないし、昼よりも朝夕は少ない。だから、過積載によって朝夕の発電量は通常の場合よりも多くなる(その代わり真昼の電力は一部捨てている)。曇りの日の落ち込みも多少少なくなる。これは単純にインバーターのコストと太陽光パネルのコストのバランスで、経済的に運用するための工夫だが、地域全体の発電量を安定化するためには地域レベルの過積載が必要になるだろう。

太陽光発電の使いみち

 今のところ太陽光発電は従来型の発電に変わることはできないと感じる。しかし、いつかそうなってほしいとも思う。そのためには立ち止まらず進んでいかなくてはならない。

 しかし、今でも有効に利用できるところはあると思う。自家消費型の太陽光発電設備だ。家庭の屋根や商業施設・工場等の屋根の上で発電することだ。多くの場合、昼間の消費電力は夜間よりも多い。もし電力消費の特性が太陽光発電と一致しているなら、自家消費のために太陽光発電設備を導入する価値はある。この程度の規模ならば蓄電設備も現実味がある。電力を捨てる必要もなく、最も効率的に運転できる。

願わくば

 願わくば、もう一度制度設計を見直し、日本のメーカーがこの分野で活躍できるようにしてもらいたいものだ。不透明な(強制労働などの)方法で一部の人が暴利を貪るのではなく、日本国民がみんな幸せになれる仕組みを切望する。